講社係がゆく!

熊本教区 下球磨仏飯講

下球磨仏飯講の歴史

下球磨仏飯講は、今から約250年前、宝歴年間(1751~1764)に山江村山田の伝助同行によって発起されました。ここ人吉球磨の地は室町時代の中期より明治の初め(明治9年)まで、約360年余りにわたり、相良藩主によって厳しい念仏禁制が行われました。その間、真宗の門信徒は、過酷な弾圧を受けながらも、地下組織において秘密結社を結成したのです。その秘密結社こそ「仏飯講」でした。門信徒は講法座の中で、毎月28日に会合して法義を相続していました。伝助同行(山田伝助)は仏飯講活動を教化し、懇志金上納のため、何度も本山へ上参しておりました。ところが、伝助同行はかの念仏禁制の厄にあい、天明2年(1782)ついに形場の露と消えてゆかれました。しかしながら伝助同行の弟子、秋山和七郎やその他の同行によって、講法座は密かに続けられたのでした。それ以来仏飯講には幾多の変遷がありましたが、今日まで伝助同行の命がけの歴史と思いが伝えられているのが、この人吉別院であり、一つの大事な信仰が守り続けられ、地域の人々が力を合わせ、権力や制度に対して命がけでお念仏の灯をともし続けてきたのです。その「仏飯講」が現在「下球磨仏飯講」として受け継がれ、活動しています。
さらには、仏飯講の創始者、山田伝助同行や、命がけでお念仏を守ってくだされた多くの先人の方々たちを偲ばせていただくために、『かくれ念仏顕彰法要』を修行しており、平成17年度より始まりました。この法要には、講員の方々自らの講社活動によって、尊いご法縁に出遭わせていただくことを目的としています。

下球磨仏飯講の活動現況

現在、講員数は約280名の講員が登録されています。
7月に人吉別院の盂蘭盆会の際に、年1回の「総会」を開催。また、年間13回の地区法座を開催しており、11月には『かくれ念仏顕彰法要』を修行。
地区法座は4月に{山江村万江城内地区}、5月に{蓑野町地区}、6月に{東西校区地区}、8月に{山江村山田合戦ヶ峰地区}、9月に{下漆田地区}、10月に{下薩摩瀬町地区}、11月に{大塚町地区}、{上林町地区}、12月に{西間上町地区}、1月に{山江村山田井出の口地区}、{中神町大柿地区}、2月に{井ノ口地区}、3月に{上薩摩瀬町地区}と合計13の地区にて法座を開催しています。地区法座の会場は公民館が11箇所、当院本堂が1回、個人宅が1箇所です。法座の内容は、講長の挨拶で始まり、勤行(正信偈草譜、弥陀成仏より六首引き和讃)をお勤めし、仏飯講へのご消息の拝読、そしてご輪番よりご法話を頂戴し、最後に茶話会というような内容が主な活動です。

今回の取材行事

『第14回かくれ念仏顕彰法要』 ※趣旨は上記【歴史】に記載

(今回の内容)

輪番あいさつ ②講長あいさつ ③法要「正信念仏偈作法第二種」 ④ご消息披露 ⑤講演<講師:益田啓三師 (演題:人吉藩の禁宗)> 

※講演内容は毎年異なる内容を実施

役員さんからのお話

会員数は減少傾向にあります。しかしこの度「南九州ブロック(熊本・宮﨑・鹿児島)講員研修会」の毎年開催が決定したことが喜ばしいと思っています。この研修会の内容(プログラム)を講員みんなでしっかり考え企画し、講員減少にストップをかけたいと思います。今後、若い人たちをまきこんでさらに充実した講にしていきたいと思っています。

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